お送りするレポーターは、飯田と遠山郷の 大ファン・白鳥和也(自転車文学研究室)です。
2006年11月の初旬にわれわれは大平峠を越えたのだが、
同じ月の下旬には、すでに凍結が始まっていたそうで、
12月からの冬季閉鎖を前に、すでに路面はかなり危うい状況と
なっていたそうだ。
冬は走れない。走るべきでもない。標高は高く、上りは長く、
下りは自制心と慎重さが求められる。
整備技術がなければ、トラブル発生時には人に迷惑をかける。
大平街道はそういう道で、だからこそまた、
旅を愛する自転車乗りに愛され続けた。
とはいえ、いかな人力の旅人のわれわれでも、
20世紀の機械文明の恩恵を受けていることは間違いない。
島崎藤村の『夜明け前』に描かれたような、
下伊那と木曾の往来の歴史をひもとくとき、
この街道の上に降り積もった、多くの時間、多くの労苦、
多くの命に、思いを寄せなければならぬ瞬間が必ずや、訪れる。
もし、大平宿が昔日のまま、
今も人が通年住み続けているところであったなら、
これほどまでに、大平街道が自転車の旅人に愛されるように
なったかどうかは、わからない。
失われたものが、われわれを引き寄せることがあるのだ。
なぜそこに峠があり、なぜそこを人は越え、
なぜそこを、人は忘れることができないのか。
道というものが、あるとき、
人の一生にも似た、謎めいた振る舞いを見せるように、
峠道もまた、不可思議な物語を描き出す。
その物語は、それを読み解こうとした人自身が、
いつのまにか物語を紡ぐ側に回ってしまうような、
奇妙な、しかしまたひどく神秘的な円環を、巡っている。