はじめての街は、駅から訪れたい。その街の出入り口が駅だから。
飯田駅は今風のりんご色の屋根が目立つけど、よく観察すれば、
跨線橋などけっこう旧い構造物がある。
ツアー・オブ・ジャパンの南信州ステージは、飯田駅がスタート地点。
ここから中央通りをパレード走行で下って行くのだ。
駅前にも市営駐車場があるが、カーサイクリングの場合は、
市役所南東側の市営扇町駐車場が使いやすい(自転車で約5分)。
こちらはルーフに自転車を積んだ場合もゲートにぶつかる危険が少ない。
飯田駅前から、真っ直ぐ東南東に下る道が「中央通り」だ。
この道は途中から、国道となる。駐車中の車には注意しよう。
また、本格的な下りとなるところからは「東中央通り」と呼ばれ、
路肩も狭くなるので、歩行者や脇道からの車にも注意したい。
最初に中央通りと十字路で交差する大きな通りを越えて進むと、
次に交わる大きな通りは、緑地帯を中央に挟んでいる。
一瞬、公園みたいに見えるが、これが有名な「並木通り」だ。
飯田の旧市街、丘の上は、戦後まもない1947年4月に大火に遭い、
伊那の小京都と呼ばれていた美しい町並みの大半を焼失した。
復興にあたり新たに広く確保した道路のひとつが、この「並木通り」。
並木通りの南側は、「りんご並木通り」とも呼ばれ、
大火後の丘の上の復興のシンボルともなっている。
実りの季節になっても、このりんごを失敬する人はいない。
いまでも地元の中学生が手入れをしている。
旧市街、丘の上は、文字通り舌状の段丘を成していて、
その東南の先端近く、飯田城址がある。天守閣などはないけれど、
大火以前には、教科書に載るほど典型的な城下町だったそうだ。
その飯田城址の手前、追手町の通りに、「飯田市美術博物館」がある。
時間があればぜひ菱田春草の名画などをご覧いただきたいものだが、
屋上へは無料で行けて、段丘の南西側の眺めが良い。画像もその一部。
このほか美術博物館周辺には、柳田國男記念館などもある。
私がいつもいいなあと思うのは、一帯の少し緊張感のある空気感だ。
城址というのは、やはり風水的にも特別な感じがするようだ。
飯田美術博物館のそばにあって異彩を放つのが、
通称「赤門」。正式には「桜丸御門」というらしい。
建造されてから250年以上が経つ。江戸期には、藩主が領民に
謁見する場であったとか。ベンガラ塗りで赤色となっている。
この赤門を見つめながら、かつての城址を想像してみる。
おそらくは今よりずっと静かな世界の中に、ただ人の気配だけが
往来していたのだろう。赤門はそれを見ていたのだ。
追手町の通りを挟んで、赤門の向かい側にある「追手町小学校」。
戦前からある校舎だ。1947年の飯田大火の折には、この校舎が
類焼の境目のひとつとなった。校舎は残ったのである。
大火の記録フィルムの一部は、この屋上から撮影されている。
建物の角に当たる部分が特に個性的だ。
何やら、1978年頃まで飯田線を走っていた流線型電車、クモハ52型を
連想したくなるのは、私だけではないだろう。