和知野川が天竜川に合流して少し下った辺り、天竜の流れの唯一の戻り渕を信濃恋しと言います。信濃恋しの由来に因み、“願いを込めて小石(恋し)を川面に投ずると願いが叶う”という名勝池があります。
約200年前から当時と同じ場所に建っている古民家。当時の生活で使用していた民具・農具・古文書などの貴重な資料がそのまま保存されている。
黒川の上流にある赤子ヶ淵は、飯田から清内路への入口として縄文時代から古道が通っていました。その名の示すように、この淵には飯田城の悲しい伝説が残されています。
七々平にある山頭火の句碑は、高さ1mの原石に縦約50cm、横約35cmの黒御影石をはめ込んだもの。碑文は、山頭火直筆で「山ふかく蕗のとうなら咲いている」。これは、山頭火が昭和9年4月14日、坂下から清内路に着き1泊して、飯田方面へ旅立った作品です。
甌穴とは、激流が長い年月をかけて作り上げた鍋状の穴で、別名ポットホールとも呼ばれています。ここには黒体竜王が棲むと言う伝説があり、石を投げ込むとたちまち黒雲がたれこめ大雨が降るといわれています。