天安元年(857)建立と伝わる真言宗の古刹。伊那西国三十三番札所の第一番寺でもある。聖徳太子作と伝わる重要文化財「十一観音立像」の御本尊を安置する(非公開)。里山に囲まれた静かな古寺で、境内に古い楼門・仁王像・梵鐘を有する。また古くから“柿の観音”として信仰を集めていた。
龍渕寺(りゅうえんじ)はその昔、この地を領有していた「遠山氏」一族の墓をまつる菩提寺。杉木立の中の長く急な石段や荘厳な造りが、長い歴史を感じさせる。境内の老杉のもとに遠山氏一族の墓所がある。「盛平山 龍渕寺」と呼ばれることも。敷地内には名水「観音霊水」が湧き出る。
古くは桜塚円満坊と呼ばれ、桜の名所として知られていました。境内に安置される 阿弥陀如来坐像は900年を遡る平安時代藤原期の優作で長野県宝に指定されています。 また南北朝時代作の十一面観音坐像、郡内屈指のコヒガン桜の巨木は町の文化財に指定され、芭蕉の句碑もあります。
1112年に開創されたお寺。源頼朝も寺領を寄進し、祈願所とした。国重文や県宝など、貴重な文化財を有する。毎春には境内の枝垂れ桜の大木が見事な花を咲かせる。
正保3年(1646)の創立といわれ、文政3年(1820)、諏訪の立川和四郎の弟子小松松四郎富張が泉龍院の山門を作ったあと、林の大原氏の依頼により、その居宅の前にこの堂を作りました。
鎌倉時代の開創で、伴野庄の地頭の菩提寺でした。当時のものと思われる宝篋印塔が残っています。山門は、三間一戸の四脚楼門で美しい門です。鐘楼を兼ねていましたが、鐘を戦争中に供出し、平成2年新しく別に鐘楼が建立されました。
文永元年(1818)の建築の山門の楼上には釈迦三尊・十六羅漢など藷仏の彫刻群。明和7年(1770)建立の本堂・庭園三色藤(紫・ピンク・白の三色の花:5月上旬~中旬見頃)
平安末期に建立された本堂・本尊は江戸時代に焼失しましたが、再建され火災の難を免れた日光・月光菩薩は当時の名残りを留めてます。境内に、万病に効果のある霊泉が湧いたところから命名されたといわれてます。
天台宗の古い寺。武田信玄が野田城の戦いで病に倒れ、甲斐へ帰国の途上、駒場の地で亡くなり、その遺骸を安置したのが長岳寺といわれています。遺品として、信玄公の兜の前立て二種が寺宝として所蔵され十三重の供養塔があります。
わが国剣道諸流の総本家「念流」を開いた慈恩念大和尚は、この地で仏道と武道の修行をし、摩利支天を祀って兵法の奥義を悟り「念流」という剣道の道を開きました。
寛文12年(1672)甲斐国塩山の乾徳山恵林寺で、信玄公100年の法要があり、五輪塔と宝篋印塔を修造。その折、武田家ゆかりの人々によって、信玄終焉の地横旗に宝篋印塔が建立されたと伝えられています。